ダレスバッグの名前の由来になってるダレス長官ってどんな人?

ダレスバッグと言えばビジネスバッグの中でもかっこよさと高級感、ダンディ感がハンパないバッグ。ドクターズバッグと言われ、お医者様の往診によく使われるバッグとしても有名です。他は弁護士さんとか会計士さんとか、はたまた一流企業のビジネスマンの部長職以上のエライさんが使ってるイメージがあって・・・

とにかく金持ちが使ってるイメージ!

なのがこのダレスバッグです。

んで、このダレスバッグですが、名前の由来はダレス長官であることは結構有名ですが、そのダレス長官っていったいどんな人でしょうか?

ジョン・フォスター・ダレス

アメリカ第52代国務長官。1953年1月21日~1959年4月22日の期間、アイゼンハワー大統領時代の国務長官を務めました。国務長官ってのは日本で言えば外務大臣みたいなもので、政権の超重要職であります。

近年の国務長官では・・・

ブッシュ(息子)政権時代のパウエル国務長官

同じくブッシュ(息子)政権時代のライス国務長官

オバマ政権時代のヒラリー・クリントン国務長官などが有名です。

話をダレス長官に戻して・・・

※ ダレス長官がバッグを持ってる写真

実はダレス国務長官ですが、国務長官時代よりも、国務長官顧問の時代の方が日本と深く関わっています。

1945年のポツダム宣言の後、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が締結されるまでの6年間、日本はアメリカの統治下にありました。その際、日本の独立に深く関わったのがダレス国務長官顧問です。日米安保の締結には当時の吉田茂首相と何度も条件について話し合いを行っています。もちろんダレス、つまりアメリカの主導で行われたわけですが、吉田茂とも概ね意見が一致していたようです。日米安保の草案をほとんど考えたことから「日米安保の父」と呼ばれています。

竹島、対馬などを要求した韓国を突っぱねたり(突っぱねられた韓国は勝手に李承晩ラインを設定、竹島を占拠する)、国務長官時代、北方領土に関しては「日本が歯舞群島、色丹島の二島返還で合意したら沖縄は返さないよ!」と圧力をかけてみたり(ダレスは共産圏が嫌い)、今も続く日本の領土問題に深く関わっているのです。ダレスが韓国の要求を呑んでいたら、現在、竹島だけではなく、対馬も韓国領だったかもしれませんし、北方領土について妥協していれば歯舞群島と色丹島の二島は日本に返ってたかもしれません。

そんなわけで戦後の日本にとって、良くも悪くも非常に影響力のあった人物で、アメリカの意向≒ダレスの意向みたいな感があったようです。ただアメリカの意向を推し進めながらも、日本の復興に愛を持って真剣に取り組んだと言われています。そもそも強い原爆反対者であったダレスは、被爆国としての日本に同情していたのかもしれません。そんな彼は親愛を込めて「ダレスの親父」と呼ばれていたそうです。

ダレスの親父が持ってたバッグがダレスバッグ

戦後、高度経済成長を遂げていく日本にとって、ダレスバッグは憧れのバッグ。高所得者層を中心に非常に人気がありました。実はダレスバッグと言うのは日本独特の呼び方で、欧米ではドクターズバッグとか、ロイヤーズ(弁護士)バッグと呼ばれており、欧米でダレスバッグと言っても通じないそうです。

当時の日本人がダレスに、そしてアメリカに強いあこがれを持っていたことを象徴するようなエピソードですね。

ちなみにダレス氏の弟さんはCIA長官。兄弟揃って長官って、なんだかすごいですね。

ブライドルレザーのダレスバッグ